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【忍者本のススメ】『忍者の歴史 (角川選書)』『 戦国の忍び (角川新書)』

 どうも、助手です。(Twitterはこちら

 突然ですが、皆さんは『NARUTO -ナルト-』でしょうか、『バジリスク  甲賀忍法帖』でしょうか。

 或いは『エンヤ KODOMO忍法帖』『カスミ伝』でしょうか。

 普通に『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』、どっこい『世界忍者戦ジライヤ』

 でもまあ結局のところ『忍者武芸帳』……ということで今回は忍者の本のこと。

(と、これまで助手個人が気になっていた忍者のあれこれ)

◆忍者と忍び

 洋の東西を問わず、なぜかみんな忍者が好きです(どちらかといえば西の方が好きかもしれませんが)。思いつくまま挙げた上記以外にも無数の創作がある忍者=NINJA。

 そんな忍者といえばどんなイメージがあるでしょうか。

 

 時代劇ではもっぱら「忍び」、戦国時代が舞台となれば気を利かせて「乱破(らっぱ)」「草」などと呼ばれますね。

 実際「忍者(にんじゃ)」という語は実に昭和三十年代頃から使われた新しい呼び名だそうです。

 そんな「忍び」というのはスイトン、カトン、ドロン──創作物の超人的忍者は措くとしても、何やら特殊な忍具・忍術を駆使して闇夜を自在に駆け巡り、間諜、暗殺、破壊工作といったウラの作戦に従事する影の軍団──。傭兵のように各地の大名に召し抱えられた現代でいうところの諜報員兼特殊部隊──。或いは薬学・医学・工学といった種々の実学に通じた技能集団──。そんなイメージではないでしょうか。

 また修験道の影響を受けた宗教性、任務のために私も栄誉も捨てる峻厳なプロフェッショナリズム、ストイシズムの塊、無名戦士の極北、──そんな横顔も浮かんでくるやもしれません。

 

 そうした忍び像というのは概ね軍記物や、忍びの各家・各流派に相伝するいわゆる「忍術書」(或いは忍術伝書)に由来するところでありましょう。

 忍術書というのは忍びの由緒、心得、マニュアル、哲学を記した忍び辞典のようなものですが、有名なものでは『万川集海』『正忍記』『忍秘伝』などが知られています。

 この他にも数多の忍術伝書、或いは忍術に言及した軍学書が存在するのですが、いずれも江戸時代に成立したものです(原典や起源は戦国時代と称するものもありますが)。

 それらの文献が実像をどれだけ反映しているかというのは個別の研究に恃むところですが、一つ言えるのは忍びの具体的なイメージというのが、実は戦乱の記憶も遠のいた平和な時代に形成されたものであるということです。

 

※『万川集海』『忍秘伝』は現代語訳版の『完本 万川集海』『完本 忍秘伝』(中島篤巳・訳註)が出ています。(金銭的)余裕と気合のある人はチャレンジしてみてはいかがでしょう。

 

 そもそも忍びとはいつからいたのでしょう。

 発祥を紐解けば、忍術の諸流派が平安時代に創始されていたり、かの聖徳太子(厩戸王)が「志能備(しのび)」を用いたという話があったり、果ては紀元前の中国に淵源を求め──と、そのむやみな壮大さに面食らいます。

 が、これらは各流派に言い伝えられる由緒や、前出の忍術伝書などの記述。つまり史料的な裏付けがあるとは言い難い伝説の類であり、起源を古く見せ、著名な人物に仮託するための潤色や創作と考えられています。

 少なくとも文献史料の上で起源というのはハッキリしていません。が、確認されている限りで「忍び」なる語が最初に現れるのは太平記のようで、室町期には史料にも現れるようです。

 が、やはり本格的な集団としての活動が仄見えるのはやはり戦国時代でしょう。とはいえ「いたらしい」という程度で、後述しますが詳しいことはあまり分かっていませんでした。

 結果、江戸時代になってからようやく体系的に記述されるようになるのですが、最前述べたように歴史に関しては誇大広告や真偽不明の事績が含まれているので、すでにこの時点で忍びというのは虚実混交の存在でした。

 そのうえ大衆文化に受容されると輪をかけて荒唐無稽なディテールが付与され、あれよあれよと言うに間にドロンしたり凧で飛んだりするようになるのです。

 

※凧飛行は実はすでに忍術書『甲賀隠術極秘』にある技だったりします。でも無理ですよね。

 

 また、学術的な研究というのもあまりなされてこなかったので、或る意味でそれも忍びたるゆえんか、終始煙幕にくるまれている如くリアルな実相というものは見えてこなかった訳です。

◆忍者研究

 しかしこの10年の間、まさに風は吹き始めたようであります。

 というのも処は忍びの里、伊賀を擁する三重大学を中心に2010年代から本格的な忍者研究が始まり、2018年には国際忍者学会が発足。忍者が学問の対象となり、ドロンではない実在した「忍び」への関心が高まっていったのです。

 そうした流れの中、研究の本山と化しつつあった三重大学の山田雄司さんが、その成果を一般書の形でまとめたのが『忍者の歴史』です。

 

◆『忍者の歴史』(山田雄司)

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本書は伊賀者・甲賀者、そして忍術書や軍学書を中心に忍びの成立から終焉、近現代に至るまでの「忍術」の変遷について解説した一冊です。

 概論的に歴史をさらうだけでなく、「万川集海」をはじめとする実際の忍術書から様々の忍術マニュアルや心得を紹介しており、なかなか実践的(?)な内容になっています。

 記述の多くは近世、江戸時代の忍びの歴史が主なのですが、忍びたちが役割を終えつつある中、一つの”道”として成立した「忍術」が、近代以降どう変容し、現代まで継承されていったか、までをもフォローしています。

 そういう点で、忍びという実在した集団の歴史、というだけでなく、それを包含した一つの文化史について語っているとも言えましょう。

 学問的な手続きによって、アイコンとしての「忍者」から歴史的存在としての「忍び」を炙り出しつつ、それでも一つの文化として再定義しようという志向が感じられるのは、三重大学の研究が伊賀・甲賀という地域文化の捉え直しから発しているゆえでしょうか。

 或いは忍びそれ自体が持っている多面性、時代ごとに絶えずイメージを変え続けた、著者言うところの「姿態変容」の特質ゆえとも言えるかもしれません。

 ことほどさように「忍術」を生み出した技能集団としての忍び、幕藩体制の中で限定的になりつつも職務遂行にあたった近世の忍びの実相を知るに格好の一冊であります。

 が、彼らが最も技能を発揮し、或いは技能それ自体を育んでいったであろう戦国時代に関してはさほど紙数を割いている訳ではありません。

 どちらかと言えば実戦から遠のいていった忍びたちが遺した遺産について語る一書と言えるでしょう。

 では戦国時代の忍びとはどんなものだったのでしょう。

◆伊賀衆・甲賀衆

 戦国時代に諸国で活躍した忍びといえばやはり「伊賀者」「甲賀者」、そして「北条の風魔」「武田の三ツ者」「上杉の軒猿」「伊達の黒脛巾組」──そんなバラエティ豊かな名前の忍び集団が広く人口に膾炙しており、フィクションの中でも聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。

 しかしこれら戦国の忍びたちも、その実態はハッキリとしません。

 たとえば後世「忍者」の代表格として知られる「伊賀者」「甲賀者」──さきの『忍者の歴史』でも語られていますが、これらは中世においては忍びというよりまず地侍・土豪として史料に登場する人々であり、当時は「伊賀衆」「甲賀衆」と呼ばれていました。

 遡れば中世の伊賀といえば、鎌倉末期から南北朝にかけて、名張郡黒田荘においていわゆる「黒田悪党」らが荘園領主である東大寺や守護に抵抗し続けたことが知られており、実に古くから研究が蓄積されてきた地域でもあります。

※この時期の「悪党」とは本来的なアウトローの他に、既存の支配秩序や荘園公領を実力で侵犯する者たちを指します。なので御家人などの武士身分でも「悪党」と呼ばれたりします。

(本文ではアウトローとしての「悪党」も出てきて紛らわしいのですが……)

 昔はこの「悪党」を新興勢力の台頭を示す画期と見なしていましたが、近年では権益を侵された側からのレッテルに過ぎないのではないか、という論も出ています。

 詳しくは『悪党召し捕りの中世: 鎌倉幕府の治安維持』(西田友広)などがおススメです。

 そんな悪党の代表格が「黒田悪党」で、これは黒田荘の現地を管理する下司・大江氏ら在地の武士と荘民らが結び、東大寺と90年にも渡って抗争したものです。古典的名著『中世的世界の形成』(石母田正)などでも採り上げられ、荘園、悪党研究ではおなじみのテーマです。

 悪党が鎮圧されて以降、その流れを汲みつつ室町期に蟠踞した群小の地侍・土豪が「同名中」と呼ばれる擬制的同族連合を形成し、自治を守っていくことになります。それが伊賀衆と呼ばれた人々でした。

 伊賀衆はやがて織田信長の脅威が迫ると、百姓衆をも取り込んで「伊賀惣国一揆」を結び、これに対抗していくのですが、その辺りは伊賀者を扱ったフィクションでも必ずと言っていいほど語られる歴史ですね。

 そうした歴史の中で、前述の黒田悪党らの闘争が基になり、抗争と自治の過程でゲリラ的な戦術を身に着けていったと推測されています。

 一方、お隣の甲賀衆はというと、長享年間、室町幕府9代将軍・足利義尚による近江・六角征伐の際、六角氏に味方した甲賀の牢人たちが幕府軍を撃退したいわゆる「鈎の陣」が知られています。

 この戦いで活躍した「甲賀五十三家」、もしくは特に勲功の大きかった「甲賀二十一家」が後の甲賀者であるというのはよく語られるところです。

 しかしそうした記録は一次史料にはなく、江戸時代の甲賀古士(帰農していた甲賀衆の末裔と称する人々)が仕官運動のさい幕府に提出した由緒書によるものです。ようは再就職するために書いた履歴書、職務経歴書のようなもので、「俺たちの御先祖様はこんなスゴかったんです」というPRだった訳です。

 ちなみに一連の仕官運動で甲賀古士たちは万川集海も提出しています。

※甲賀古士については『〈甲賀忍者〉の実像』(藤田和敏)に詳しいです。甲賀の忍びというより、甲賀古士による運動と先祖顕彰がどう忍者のイメージを形成したか、という点に重きを置いた本です。

 なのでこれまた本当のところは分からないのですが、甲賀の地侍たちも山間で身につけたゲリラ的な戦技・戦術を駆使して幕府軍を苦しめたのでしょう。

 そんな甲賀衆も状況に応じて幕府、守護の保証を取り付けつつ、同名中をまとめて「甲賀郡中惣」を形成。やはり後に織田信長らに対抗していくことになります。

 さてそうした伊賀衆・甲賀衆の中には「他国奉公」、つまりよその大名・領主に雇用されたり被官になるなどして、他国の戦に参加した者らもいました。

 歴史学者の長谷川裕子さんによれば、足軽衆クラスは金銭による契約を結んでの奉公、つまり傭兵的な人々だったようです。

 そして他国奉公によって張り巡らされたネットワークを本国の安全保障に生かしたのではないかと論じています。

 実際、甲賀郡中惣では織田信長の脅威が迫る中、他国奉公に出ていた者たちに「足軽停止」の命令を発し、郷土への帰還を促したということがあったそうです。平時には他国で軍務に就きながらも、郷土との関係は維持されていたということになります。

 どこか血の輸出で有名なスイスを連想をさせますね。

※(『戦国の傭兵 -戦場をわたりあるく伊賀・甲賀の人びと-』)

 ことほどさように「伊賀」「甲賀」の土豪としての動き、或いは一部が傭兵として他国で活動したという概観は掴めるのですが、実は忍び的な技能者としての生態はハッキリとは見えてきません。

 もちろん、傭兵を輸出しているかの如き他国奉公に加え、城取りなどの戦術に巧みな者もいたことが看取できるので(「伊賀惣国一揆掟書」第五条)、そこに忍び技術があったと推測されています。が、「こうやって戦った」と親切に書いてくれている史料などない訳です。

 三重大学の藤田達生さんは、本来、甲賀衆・伊賀衆は足軽主体の大規模な戦闘集団であったが、諜報能力のある一部の者が江戸時代にその専門家として召し抱えられたので、後世の諜報に特化した忍びイメージができたのだとしています。

 伊賀衆・甲賀衆をどう「伊賀者」「甲賀者」に繋げるのかの一つの解釈ですね。

◆悪党と忍び

 と、個人的な関心で伊賀・甲賀の話ばかりダラダラ書いてしまいましたが──。

 他の戦国大名らが抱えた忍び集団にしても、そのイメージはやはり江戸時代の軍記物や忍術書などに拠るところが多く、同時代の体系的な史料がある訳ではありません。

 それどころか忍び集団によっては名称の典拠や実在さえアヤフヤなものもあるようです。

 もちろん戦国の忍びの存在を示す一次史料が断片的に採り上げられることはありました。

 たとえば中世史研究者・藤木久志さんが、当時「悪党」と呼ばれていた盗賊たちを大名・領主が傭兵として雇っていたことを示す例として、「草・夜業」(「結城氏新法度」)、「夜はしり・夜盗」(「上田憲定朱印制札」)というものを紹介しており、これは広く知られています。

 任務の内容としては夜陰に乗じて破壊工作をするというまさに忍びなのですが、行きがけの駄賃に「人取り」、つまり誘拐もやってのけるようなアウトローたちであったようです。

※『雑兵たちの戦場 : 中世の傭兵と奴隷狩り』(藤木久志)

 本書で戦国時代のイメージがガラリと変わった人、中世沼に落ちた人は多いのではないでしょうか。

 また江戸時代に成立した文献ですが、「北条五代記」に見える風魔(風摩)の一党も盗賊たちであったと記されています。

 夜討、放火、工作、誘拐──それらの任務は確かに盗賊などが得意とするものばかり。

 実に戦国の忍びの多くがこうした悪党・ゴロツキであったことを示唆しているのです。

 してみると地侍や土豪であった伊賀衆・甲賀衆とはだいぶ差異があるように思いますが、同じ忍びとするなら、その技能を有するかどうかであって身分的な出自は関係ないということになります。

 しかしわずかな事例で比較しても詮無いことであります。が、戦国時代の忍びについて実証的に語った書籍・媒体というのは殆どありませんでした。そもそも研究している人が少ない。となるとどうしても、まとまった文献のある江戸時代の記述が多くなってしまう訳です。

◆『戦国の忍び』(平山優)

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 ──などとグチグチ言っておりましたらば2020年、実戦における忍び、戦国時代の忍びについての網羅的一冊が新書の風に乗ってやってきました。

 それが平山優『戦国の忍び』であります。そのままズバリのタイトル。

 著者の平山優さんといえば武田氏、真田氏研究で知られ、大著『武田氏滅亡』があります。また大河ドラマ『真田丸』の時代考証の一人でもありました。

◆「忍術」は書かない

 さて、本書でも江戸時代における忍びのイメージ、忍びの定義など、前述の『忍者の歴史』をも踏まえた内容から入っていくのですが、文献史料に拠った考察となるので、当時の史料に出てこない「忍術」や「武器」についてはまったく言及していない、との断りが序文にあります。

 それを読んだとき、正直我が意を得たりという心持ちがしました。

 そのとき俄然自覚したのですが、助手は「忍術が出てこない忍者本」が読みたかったのです……(『忍者の歴史』には出てくるじゃないか! とツッコまれるかもしれませんが、あちらは江戸時代の「史料として」忍術伝書が紹介されているので……)

 さて、本編とも言うべき戦国時代の忍びに関しては、後世の文献や軍記も援用しつつ、可能な限り同時代史料を博捜し、様々な地域での合戦の中から忍びたちの活動を析出していきます。

 文書、覚書、書状に見える行跡を事細かに見つけ出していく訳ですが、これまで忍びの任務はとかく一般的、抽象的に語られてきただけに、個別具体例の収集はそれだけでスリリングです。

 そして量が圧巻。まさかこんなに関連史料があるとは思ってもみませんでした。

 軍記を除けば当事者、関係者たちによる記録が主なので簡素な記述ばかりですが、合戦でこれほどの数の忍びが投入されていた、或いはそうした戦術が恒常的に実施されていた、という事実が分かるだけでも貴重な成果と言えましょう。

◆アウトローの傭兵

 そんな戦国の忍びたち。出自が気になるところですが、先ほど紹介した藤木久志さんの傭兵論を受け、より詳しくその実相に迫っています。

 やはり多くは悪党たちだったようですが、興味深いのはそうした者たちの技能に恃むだけでなく、領国内の治安維持のため、むしろ悪党たちを取り込んでいこうとする統治権力側の志向を指摘しています。撲滅するよりはその能力を利用し、悪さは外に向けさせる。或いは毒を以て毒を制する式に治安維持そのものにも駆り出す──。こうした志向は古くは検非違使の放免、近世には目明かし(岡っ引)と、近代以前の検断(司法、警察、治安維持)の伝統芸であります。

 その他にも様々の出自を持つ人々がいたようですが、身を持ち崩して牢人をしているような者たちであったろうと推測しています。敵方への略奪を以て報酬の一部とする、などは藤木さんの提示した「食うための戦場」の一断面でありましょう。戦国はまさに傭兵たちの時代であったのです。

◆多彩な名称

 また目を引くのが当時の忍びやその活動に対する多彩な呼称です。

「乱破」「透破」「草」などは昔からよく知られていますし、何となく地域性があるのだろうという認識はありましたが、任務の性質で様々に使い分けられているらしいということ。

 たとえば「草」というと敵地に浸透しているスパイのようなイメージで語られることがありますが、概ね敵地での待ち伏せを意味しており、東国・東北では夜間が「草」、昼間は「伏兵」などと使い分けていたらしいのです。

 以前から何であんなに別称が多いのかと思っていましたが、そもそも「忍び」自体、動詞そのものがそれを行う者を指す固有名詞となっている訳で、技能や戦術が多様であれば呼称も増えるということがあるかもしれません。

 ということで、別称を含む独特の忍び用語から戦技・戦術の違いを見出し、種別に実際の事例を列挙していくのですが、それは概ね我々が想像していた通りの忍びでもあります。

 待ち伏せ、放火、破壊工作、路次封鎖(交通遮断)、捕虜獲得、城内への潜入と乗っ取り等々、多岐に渡りますが、実感としては「あ、本当にこういうことやっていたんだな」という感じです。

 しかし驚くべきは合戦におけるそのウェイトの高さでした。

◆意外と戦っている

 前出の「草」「草調儀」は待ち伏せによる敵の殲滅、或いは捕虜獲得を目的とした戦術のようですが、戦線の前後はこうした「草」たちの跳梁する死の地帯であったようです。

 戦国合戦といえば軍勢同士のぶつかり合い。ともすれば正面戦力による大規模な会戦ばかりを想像しがちですが、決戦に持ち込むかどうかの前に小競り合いが戦線の各所で群発したでしょう。

 昔の大河ドラマの合戦シーンのような、ピクニック向けの野原ばかりが戦場ではありません。戦域の結節点や要地の空隙、或いはそれらを繋ぐ周辺の道々が戦場であり、不用意に通行する者はむくりと「起き上がった草」どもに即捕殺、──生きて通過すること自体が至難の恐ろしい空間です。そこをくぐり抜けて任を果たしたからこそ伝令や斥候たちの功は大と見なされた訳です。

 日頃は諜報、戦場にあっては斥候のイメージがある忍びは基本「戦わない」と言われます。任務を全うするために可能な限り戦闘を避けるというステルスゲームです。もちろんそういう任務もあったでしょうが、この草、伏兵に関しては捕虜獲得を除けばほぼ敵の殺害を前提にしています。というよりかなり積極的に首級を上げることを目的とし、大名の家中もそれを奨励していたようです。つまり敵兵力の漸減作戦です。

 なので実際の忍びは「かなり戦っている」らしいのです。映画では不期遭遇や待ち伏せのあげく忍び同士が斬り合うシーンがありますが、「まあ実際こんなことは滅多にないんだろうな」と思っていました。が、こんなことばかりだった可能性がある訳です。(逆手の腰刀でアクロバットとかはないでしょうが)

◆城も奪う

 草、伏兵の事例を見るだに、戦国合戦における忍び働きの占める割合は、我々の考える以上であったかもしれません。とりわけ城の「乗取」も目を見張るものがあります。

 普通、城攻めでの忍びの役割というと、単身もしくは少数で潜入して城内の有様を偵察するというようなイメージが持たれがちです。(実際そういう事例も紹介されています)

 しかし「乗取」と称する戦術では、忍びが集団でゾロゾロ城へ潜り込み、城兵を攪乱して文字通り乗っ取ってしまうのです。城そのものを奪う訳ですから、300人もの要員が投入されることもあります。

 通常(?)の城攻めに優先して「乗取」が検討されることすらあったようで、奇策ではないれっきとしたオプションの一つであることが分かります。城攻めというと一般に力攻めか兵糧攻め(水攻めなども含め)くらいしか語られませんが、かなりの割合でこの「乗取」が行なわれていた可能性がある訳です。確かに正面戦力をいたずらに損耗をさせずに城が奪えるならそれに越したことはありません。(兵糧攻めなどは膨大なコストがかかるうえ、普通は拠点クラスの城でなければ起きないと思われます)

 それだけに守備隊も四六時中気を抜くことができず、夜間も切岸から石を落としたり、堀底に松明を投げ込むなどの警戒にあたっていたといいます。日に日に摩耗していく城兵の様が容易に想像されましょう。実際、寄せ手が欺瞞作戦でフェイントを繰り返し、城兵の油断を誘うという例が出てきたりします。

 一部の城には城掟と呼ばれる在番衆の為の規則が残っていたりしますが、それを見ると夜間厳戒はもとより、平素でも飲酒が禁じられていたりと色々口うるさいのです。が、それも単に綱紀粛正の為だけではないことがよく分かります。

 しかしながら乗っ取る側も過酷な任務だったようで、冬期は待機中に凍死する忍びもいたようです。そもそも寡兵(目標の城の規模にもよりますが)で城に潜入するというのは決死隊みたいなものですから、相当の命知らずにしか務まらない任務だったでしょう。現に乗取を見破られ、寄せ手が悉く討ち取られたという事例も紹介されています。

◆幅広い

 待ち伏せと城の奪取について述べましたが、その他にも放火、偵察、諜報と多岐に渡る任務が紹介されています。その辺りはイメージ通りの忍び働きと言えますが、こうしてみますと、どこまでが忍びの職域であったのか、少し悩むところでもあります。草調儀、伏兵、野臥、かまりといった待ち伏せ系は、場合によっては他の足軽も参加しそうなところで、分担にはグラデーションがあったのかもしれません。或いは忍びという技能者ありきというより、まず任務や戦術があり、それに巧みな者たちが後にその名で呼ばれたのかもしれません。

 忍びと他の兵種の境はどこなのか──、それは伊賀衆・甲賀衆といった侍身分の忍びを考える上でも重要かと思われます。

 ちなみに本書によればこうした忍びが現れるのはやはり南北朝期以降。太平記に記述があり、室町中期頃にはすでに戦国時代と同様な活動が史料でも確認できるようです。

 室町以前は主力同士の野戦でカタを付ける決戦主義であったのが、戦国になって複合的な作戦が展開されるようになったと考えられますが、本書で示された事例を見ますと、忍びはまさにそうした戦争の変化に合わせて確立されていった兵種ではないかと思います。

 そして本書での成果は忍びのイメージを更新するという以上に戦国合戦のイメージを刷新していくの観があります。今後の合戦研究、城郭研究は本書の成果を抜きにしては考えられないと言っても過言ではないのかと思います。

◆夜は違う世界

 そしてもう一つ特筆すべきは中世の「夜」についてです。

 忍びたちはやはり夜間に任務を遂行することが多い訳ですが、中世の「夜」は昼とは違う世界、昼のルールが通じぬ世界であったといいます。世界から光がなくなり、その闇は現代よりもずっと深かったのですからそういう観念が生ずるのは自然といえば自然です。そうして世界が変われば法も条理も変わってしまう訳です。

 実際、夜は昼のような法的な保護(ただでさえうっすいのに)は考慮されず、いたずらに出歩く者は殺されても仕方がないという通念があったようです。堅気は夜に出歩く用などない。やむを得ない場合であればルールは厳守せねばならず、それ以外でコソコソ何かしているのはすべて悪党である(と見なす)、という法理です。

 換言すれば夜陰に紛れて外を動き回るのはアウトロー、そしてそれと表裏一体の忍びたちだけである、という訳です。彼らは半分比喩でなしに夜の世界の住人だったのです。

 傭兵の論と並び、この「夜」の考察を以てしても「忍び」というテーマが軍事史の一頁にとどまらず、広く社会史、民衆史の俎上にあることを示しています。それはたとえば藤木久志さんらが示した戦国像に更なる奥行きを与えるものになるのではないでしょうか。

◆何が言いたいかというとおススメです。

 さてこの「戦国の忍び」ですが、史料と事例の紹介がこれでもかと続くのでお腹いっぱいになる人もいるかもしれません。助手もページを繰る毎に「まだある!」となりました。

 が、序文にもある如く、先行研究が乏しい分野だからこそより多くの例証を提示する必要がある訳です。むしろ新書であってもそこを落とさないというのは誠実な姿勢と言えましょう。

 のみならず検証性を持たせるために可能な限り史料を原文で載せているのですが、これも新書としてはかなり際立っています。もちろんスルーしても文意は取れるようになっており、文章自体も平易なので学術書のような晦渋さはありません。

 以前ここで呉座勇一さんを採り上げた時にも触れた話題ですが、学術的な手続きと水準を満たしたうえでの”一般書”、というものが問われている昨今にあって、歴史系新書としては今後あるべき新たな水準を提示したのではないかと、個人的には思います。

 ということで忍び、忍者に関する本を紹介しましたが、恐らく今後も研究の進展によって新たな発見があるかと思います。また忍者研究に限らず、その成果を取り込んだ中・近世の史論も出るのではないでしょうか。

 そしてフィクション、エンタメの世界にも反映されるのではないかと思います。ニンジャは念力と必殺技を失いますが、スタイルはさらにえげつなくなる訳です。嬉しいですね。

 夜の忍びの世界、しかとご覧ぜよ。

 や、どうもまた長々とだべりました。

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